公益財団法人石川県臓器移植推進財団

臓器提供のこと知っていますか

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公益財団法人石川県臓器移植財団

ホームページの移行について

 公益財団法人石川県臓器移植推進財団のホームページは、平成31年4月より、次のページに移行します。引き続きよろしくお願い申し上げます。


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臓器移植について
いろいろな普及広報事業を行っています
ご協力をお願いします



所在地 石川県河北郡内灘町大学1丁目1番地                                                 金沢医科大学病院内

電 話 076-286-3511 内線6200,6201

FAX 076-286-5301

 当財団は、腎臓をはじめとする臓器移植医療の推進を図るため、平成元年に石川県及び県内各層のご支援、ご寄附により「財団法人石川県腎臓バンク」として設立されました。その後、平成10年に「石川県臓器移植推進財団」と名称変更し、平成23年には公益財団法人としてスタートいたしました。
 財団では、一般の方や関係機関等への臓器提供に関する普及広報活動、移植を希望される患者さんや、実際に臓器を提供される患者家族の方の支援、移植医療にかかわる病院職員の研修や支援、関係機関の協力体制の整備や支援を行っております。


平成30年度 事業計画・予算


平成29年度 事業報告・決算

 
平成29年度 移植医療推進研究会事業の紹介


平成29年度 事業計画・予算


平成28年度 事業報告・決算


平成28年度 移植医療推進研究会事業の紹介




移植医療セミナー

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 平成30年11月17日(土)
 恵寿総合病院

 平成30年11月20日(土)
 浅ノ川総合病院




  腎移植の現状

         金沢医科大学病院 腎臓内科教授 横山 仁


透析療法(血液透析、腹膜透析)と腎移植のメリット、デメリット
 
            透 析         腎移植
 

治療に要する  週3回、4-5時間の透析   月1回の通院
時間
 
食事      水分制限           水分制限なし
        食事制限           食事制限なし
       (カリウム、リン、塩分など) (健康的な食事)                             
 
味覚      低下             改善
 
合併症     動脈硬化、骨障害、      手術合併症、拒絶反応、
        アミロイド症、感染症、    感染症、免疫抑制剤の副作用   
        心不全、悪性腫瘍など    ⇒糖尿病(PTDM)、悪性新生物     
 
医療費     ほとんど公費負担       ほとんど公費負担             
 
医療を受ける  無条件            ドナーが必要  
機会・条件   だれでもいつでも受けられる (毎年、希望者の1%程度)
                       いつ受けられるか不明
 

腎移植を受けてよかった理由
 

・透析をうけなくてもよい
・食事・水分の制限がない
・健常者と同じ生活ができる
・時間の制約がない
・移植後体調がよい
・生きていることに感謝できる
・生きる喜びがある
・社会復帰ができた

 
生体腎移植におけるドナーの留意点
 

・ドナーとなる方が心配されること、よく質問されること
 手術のリスク
 術後の予後等のリスク
・術前・術後の生活において特に留意すること
 片腎になりますので、慢性腎臓病に準じたケアが必要
 定期的な腎機能のチェック
 血圧・肥満・糖尿病・喫煙などの生活習慣の注意

 
レシピエントの選択基準(腎臓)
 

・前提条件
 血液型  ABO式血液型がドナーと一致及び適合
 抗体反応 リンパ球交差試験 陰性
 
・優先順位
 前提条件を満たす候補者の優先順位は以下の順に決定する。
 ①親族:親族優先提供の意思表示がある場合
 ②血液型:適合より一致を優先
 ③20歳未満の臓器提供では20歳未満の移植希望者を優先
 ④下記1~4のポイント合計点数が高い順とする。
1.搬送時間
2.HLAの適合度
3.待機日数
4.未成年者

 
誰でも献腎移植登録は可能でしょうか
 

・ほとんどの方が可能です。
・ただし、医学的な理由でお断りさせていただく可能性もあります。
・移植施設へご連絡いただき、少しでも腎移植に興味、関心のある方は
 移植施設への受診をお願いします。
 

プレエンプティブ登録について
 

Pre-emptive Kidney Transplantation : PEKT(=先行的腎移植)
・先行的献腎移植登録
 2012年7月より審査が開始され、2015年8月から、成人の
 審査は不要となった。(統一基準)
・申請時から1年前後で腎代替療法が必要になると、予測される進行性
 腎機能障害の場合で、かつ、
 19歳以上では、eGFR15mL/min/1.73㎡未満
 19歳未満または、腎移植後で移植腎機能の進行してきた場合では
          eGFR20mL/min/1.73㎡未満

 
献腎移植登録更新時検査


腫瘍マーカー   初回受診時と40歳以上(1回/2年)
感染症      毎年もしくは輸血後
胃内視鏡     初回受診時と40歳以上(毎年)
大腸内視鏡    50歳以上(1回/2年)
便潜血検査    毎年
胸部~骨盤腔CT 毎年
頭頸部CT(副鼻腔含む) 初回受診時と5年毎
歯科       毎年:受診直前1~2か月以内
心電図・胸部XP 毎年
婦人科乳癌検査  2年毎、40歳以上(毎年)

 
ハイリスク要因
 

【既往症】
虚血性心疾患・CVA・血管合併症・弁膜症
既移植者
原疾患:巣状文節性糸球体硬化症・糖尿病性腎症
輸血歴
妊娠歴
薬剤アレルギー
【併存病変】
%肺活量70以下
肝炎ウィルス(HBV、HCV)抗体陽性
下部尿路疾患
繰り返す十二指腸潰瘍
精神疾患
【その他】
70歳以上
透析歴20年以上
抗血栓療法中
BMI30Kg/㎡以上(高度肥満)
自己管理不能
外科的な手術リスク(高度の動脈硬化など)
 
→ 判断に難渋する場合は迷わず専門医に紹介、検討します

 
移植直前に「献腎移植ができない」と判断された実例
 

(医学的理由)
齲歯、副鼻腔炎等の慢性感染症
(敗血症の危険)
抗血小板(パナルジン、プラビックス等)内服
(手術時の止血困難)
5年以内に悪性腫瘍を指摘されていた
(悪性新生物の再燃)
(社会的理由)
仕事や介護により多忙
実際に移植への踏ん切りがつかない

 

献腎移植待機期間は、平均14年8か月(2017年3月末日)
早期の登録をおすすめする。
 
透析前に献腎移植登録をすることも可能であり、医療関係者の方から
の情報提供も必要。
 
腎移植可能かどうかは、移植登録施設に受信して、判断を仰いでくだ
さい。
 
登録継続には、年1回以上の定期診察が必要。

 


献腎移植を受けて思うこと①                                  

                             S さん(石川県)

 私は、現在69歳。高校を卒業してから就職したが、食事なども不規則で、心身ともに過酷な仕事で、そんな生活が16~17年続いた頃、健康診断で、尿にたんぱくと血尿が出ているので、調べていただくと「慢性的な腎炎」との診断。月1度、定期的に検査を受ける事になったが、特に体のどこか具合が悪いと言うことではないので、仕事の都合でよくパスしていた。昭和62年の秋に風邪をこじらせて精密検査を受けたところ、腎臓の機能が低下しており、いつ透析導入になってもおかしくないので、腕にシャントを造っておきましょうと、すぐに手術をしていただいた。
 その翌年、39歳の時に透析を導入することになった。今までの生活が一変することになり、営業セールス職から内勤事務職に変更していただいた。当初は、週に2回の透析だったが、しばらくすると、おしっこが出なくなり、週3回、透析しなくてはならなくなった。その間、一番大変だったのが、水分の取りすぎによる体重増加が悩みの種であった。また、院内に「透析マガジン」なる小冊子が発行されていて、透析の情報や、食事療法、食事メニュー、そして、患者さん達の投稿記事などもあり、大変、勉強になった。石川県腎友会にも入会して、献腎移植の希望者の登録も、毎年更新し、継続していた。
 透析治療が16年間続いて、55歳の時、平成16年7月の早朝5時頃だったと思う。主治医の先生から電話で、「腎臓の提供者が出まして、あなたに当たるかは、決まってはいませんが、マッチングテストで、あなたにOKが出ました。 腎臓移植する意志はありますか? 体調は大丈夫ですか?」との連絡。どう返事をしようか迷っていると、「あなたが受けなければ、次の方に順番が回っていきますよ!」と言われ、「先生、移植させて下さい。」とお願いをした。
 「では、後で連絡しますから、自宅で待機して下さい。」と言われたが、8時になっても連絡がなかったので、他の人に決まってしまったのだと思い、出社したが、10時頃、先生から会社へ電話があり、「君への移植が決定したから、すぐに準備して下さい。」とのこと。すぐ支店長に事情を報告すると「なかなか貰えるものではない。すごい事じゃないか! すぐに行きなさい。」と、背中を押され、事務引継ぎをしていると、今度は、医科大学病院の先生から、電話があり、「何時に医科大に到着できますか?」、「午後2時ぐらいまでに来て下さい。そのまま、来ればいいから」と。すぐにマイカーで病院に向った。
 医科大学病院に到着すると、先生が待機しており、すぐに手術の準備が始まった。採血、心電図、エコー、CT、など、大急ぎで検査、検査である。泌尿器科で手術の説明を受け、麻酔科で問診、最後に人工透析を4時間受けてから、手術は、深夜0時頃から始まったと記憶している。4時間から5時間にも渡る移植手術で、たくさんのスタッフ、先生方に大変お世話になり、感謝で一杯である。
 翌日、目が覚めると、ICUのベッドの上である。まだもうろうとしていたが、手術が終わった安堵感で、ほっとしていた。しばらくしてから、執刀医の先生と妻がマスクをして、面会に来てくれた時には、「先生、ありがとう」と、大泣きをしてしまった。移植後は、拒絶反応を抑えるために、大量の免疫抑制剤を投与していて、感染予防のために、付き添いや、長い時間の面会はできなかった。この免疫抑制剤は、生涯、飲み続ける事になるが、移植後の経過を見ながら減らされていった。
 日増しに体調が回復したので、痛みは残るものの、3~4日の滞在で、すぐ泌尿器科の看護ステーション前の個室に転室する事ができた。個室でも面会は家族のみに制限され、手の消毒、マスク着用など、感染予防には最善の注意を払った。
 私の場合、透析治療を16年間、続けていたために、おしっこが、まったく出なくなっていたが、手術後、1週間目位だったと思うが、尿意をもよおし、ちょっと出た時には、本当に感動した。始めは100~300ccであったが、その後、利尿剤を飲んだりして、いっきに、1000~1500ccと増えたように、記憶している。
この時点でも、透析治療は週3回、続けられていたが、透析時の除水量は、尿が出る事により、だんだん減っていった。それとともに、クレアチニンや、尿素窒素BUNの値が、徐々に改善されていった。移植後、20日すぎた頃、検査データが改善したので、透析から完全に離脱する事ができ、泌尿器科の病棟から、腎臓内科の個室に転室した。
 それからは、先生方のご指導をいただきながら、移植腎が自分の体に、無事、生着することを祈る毎日であった。それ以降、2か月の入院生活を送ることになるのだが、退院までに軽い拒絶反応が2回ほどあり、ステロイドの投与を受けた。クレアチニンやBUNなどのデータが安定しなくて、気の重い戦いの日々が続くことになったが、その安定しない原因は虫歯にあった。歯槽膿漏になっていて、時々、出血したため、そこからのバイキンが原因であった。虫歯の治療によって改善されていった。
 10月の中ごろから、いよいよ退院の準備のために外泊の許可が出て、看護師から感染予防などのいろいろな注意を受け、土日の一泊二日で自宅に帰れる事になった。それと並行して、移植腎の最終の機能検査のため、腎生検や、エコー、CT、アイソトープ、腎クリアランス、MRI、全身骨、胃カメラなどなどの、最終検査が2週間にわたり行われた。
そして、11月に無事退院となった。本当に、この3か月間、医科大学病院のたくさんの先生方、看護師の皆さんに、感謝しても感謝しきれないほどお世話になり、言葉に言い尽くせない思いで一杯である。
 その当時、私は3つの腎臓を持っていた。普通の人は、今までの悪くなった腎臓を取り除いてから、提供いただいた腎臓と入れ替えると思いがちだが、私自身の腎臓はすでに萎縮して、その役割を終え、背中の方に2つ、そのまま残っている。新しく提供いただいたのは左側の腎臓で、私の、左側下腹部の前の方に移植されている。この1つの新しくいただいた移植腎によって、私の体をすべてをカバーしてくれている。日常生活には、全く支障はないが、提供いただいた腎臓に、負担のかからない生活をして、大切に守っていかなくてはならない。
 退院後は職場復帰をし、長い間迷惑をかけた事を、お詫び申し上げ、いつもの仕事に戻った。また、仕事が終わってからも、透析に行く必要がなくなった。そこには以前と違う生活があって、何にも変えがたい喜びであった。
後日、病院の透析室、スタッフの皆さんにお礼のご挨拶に伺うと、移植がうまくいった事を自分の事のように喜んでくださり本当に感謝であった。16年間の透析治療、本当に有難うございました。
 退院後、2か月位は、毎週一回、定期検診で、拒絶反応や検査データを、調べるため、医科大学病院へ、通院する事にる。その後は、隔週、一週間おきになり、安定してきたので、6か月目からは、二週間おきにった。それから、一年後の7月11日から10日間、一年目の精密検査で、検査入院いたしました。腎生検などの、各種検査を行い、その結果、拒絶反応も無く、移植腎も順調に、活動しているとの事で、一か月に一度の通院でよくなった。
 仕事は、翌年、ますます多忙を極め、移植後2年目の春先から動悸がするようになり、その後に不整脈を発症してきた。急に胸が痛くなることが、たびたび起こり、同じ病院の循環器内科で、投薬治療を受けることにした。仕事中にも不整脈が起こり、病院へかけつけたがおさまらず、麻酔をかけてから、AEDを使って治していただいたことも何度かあった。その後、頻繁に不整脈が出るようになってきたので、体のことや移植腎のことを考え、57歳で退職した。そして、投薬治療では完治しない事がわかり、また、血栓ができて脳梗塞を起こす危険性があるとのことで、早期に治療を開始する事になり、医療センターを受診する事にした。平成18年6月に、心臓カテーテルアブレーションを施術していただいた。手術は3時間かかり、先生の高度な技術で無事終了して感謝の思いで一杯である。今、思えば、透析をしていた時代に体重の1割近くまで除水をかけ、心臓に負担をかけていた事が、不整脈の原因になっているのではないかと反省している。
 その後、平成23年に、右側の固有腎に大きな嚢胞があり、摘出した方が良いとのことで、摘出手術をしていただき、その細胞を調べたところ、癌細胞が見つかった。その後、転移も見られないとのことで一安心だが、これからは癌に対しても注意を払っていく必要が出てきた。
 その翌年24年8月に、急に腹痛がひどくなり、トイレへ2~3度、駆け込んでも便が出ず、そのうちに嘔吐するようになり、てっきり食中毒と思い込み、近くの町医者で点滴治療をしていただくも、1時間経っても治らず、急遽、救急車で病院へ駆け込んだ。エコーやCT検査の結果、大腸から便が流出しており、一刻も早く手術が必要なのだが、移植腎の保護の必要があるため、金沢医科大学病院へ転院するとのこと、病院の救急車で搬送していただきました。すぐに、開腹手術が行われ、「S状結腸の穿孔による腹膜炎」で腹腔内が高度に汚染されており、生理食塩水で十分に洗浄し、人工肛門を造設する手術となった。
 生死を分ける、大変な手術を執刀くださった先生には、感謝でいっぱいである。手術中も、手術後のICUでも3日間、人工透析を続けながらの治療で、移植腎を守っていただいていた。また、退院する前に、大腸の精密検査でポリープが見つかり、後日、切除をしていただいた。
その後も、裏山から転落して、左側の固有腎にある嚢胞が破裂しており、緊急入院とか、頻尿と排尿痛がひどく、発熱もあり、夜間外来で、腎盂腎炎(大腸菌汚染)で、緊急入院とか、病気には、事欠かないが、そのたびに、命を長らえさせていただいている。
 今日で、献腎移植後、14年3か月と28日を迎える事になる。これからも精進を重ね、感染症に最大限の注意を払い、長生きしていきたいと思っている。それには、「免疫抑制薬は、休まずに、服用する事が大切です」 と言われており、毎日きちんと服用していかねばならない。拒絶反応があるからである。
献腎移植の希望者登録をされている方が、おられると思うが、私のような献腎移植は、なかなかやって来ない。ところが、やって来る時は、突然にやって来る。提供者が現れた時には、自分で移植する、強い意志を、常に持っている事が大切である。それと、健康状態をいつも良好に保ち、移植に耐えうる、体力をつけておく事である。虫歯などは、日頃から、十分に注意して、治療しておく事が大切である。
 お勤めされている方は、いつどんな急な時にも、移植手術のために2~3か月の休暇がとれるように、その協力体制をお願いしておき、家族にもその心構えを話して、準備を整えて置くことが大切だと思う。
私のような献腎移植によって、もっともっとたくさんの方が、幸せになれることを願ってやまない。




献腎移植を受けて思うこと②

                              N さん(石川県)

 私は、22歳の誕生日に透析生活に入った。当時はせめて誕生日でないほうがいい、と希望したが、誕生日の方が覚えやすいと説得され、それから18年半、順調な透析生活であったと思う。風邪をひいたり、GOT値が異常になり、B型肝炎にもなったが、自分はベッドで横になっていたので、それほど苦痛は感じなかった。その頃、気をつけていたのは、塩分とカリウム、それと薬を飲むことを忘れないこと。
 このような時に、献腎移植の制度のことを聞いた。私は迷わずに5千円を用意し移植希望の登録をしたが、すぐにどうにかなるとは思っていなかったが、期待のほうが不安や諦めよりも大きかったのは事実。宝くじが先か、腎移植が先かという程度に思っていたが、献腎登録がほとんどすすまず、献腎移植が大きなニュースになるような時代で、移植をしても2、3年で透析に戻る人も多い頃であり、透析に戻ってベッドに横たわっている時に大きな不安にさいなまれたり、気持ちが落ち込むいうことも聞き、こんなのでは移植を受けるのもどうかな、と思うことはあった。しかし、そのうちに献腎移植のことがあちこちで話題になり、期待が大きくなり不安を押しのけるようになり、そろそろ自分の番かな、と待つのが楽しみになってきた。
 3月のある日、院長から呼び出しがあり、「来たー」とまちがいなく思った。「腎臓移植の話しが来たけどどうする」と。「受けます」と迷いもなく答えた。その後確認の電話がきた時も即答した。医科大学病院に着いて、すぐに手術になった。手術が終わりストレッチャーで移動するときの振動で、痛みがひどくてつらかったのを鮮明に覚えている。「痛い、痛い」とうめいていた。ICUでは自分で用足しができるように、その次は自分でトイレでしゃがんでできるように、その次は、その次は、と新しい目標が生まれ、体力をつけていった。
 星が見たいのに24時間絶対安静と言われ、体を動かすと腎臓の上に置いてある保冷剤がずれて、すぐにばれてしまう。星を眺めているとなんだかウキウキしてしまう。季節が冬から春になる頃であったことも幸いだった。自分の体調も回復していき、病院の近くの海沿いの遊歩道を歩いたこともある。あんな新緑を見たのは初めてだった。感謝しながら退院する日を迎えた。喜びがどんどん内側から溢れてくる。新しい人生が始まる。立ちしょんもするようになる。気をつけることを自分で誓いを立てた。塩分の制限、水分の制限、薬の服薬を忘れないこと、という簡単なことだ。しかし、塩分制限はおろそかになり、いつのまにか通常食。あるとき、自分に課している大事なこと、薬を飲むことを忘れ、ナースセンターに電話し、対処療法をうかがった。すぐに忘れた薬を飲み、さらに6時間後に飲み、服薬のサイクルを元に戻す、という指示いただいた。その後も、薬の飲み忘れたときは、高熱がでることがあり、医科大学病院で点滴を受けると元気になり、仕事にも行けるようになった。免疫抑制剤のためと思われるが全身が虫にさされたように赤く腫れ、紫外線による治療と薬を飲んだが、簡単には治らない。日光浴が良いと言われ、外で全裸で寝転んでいる所を見られ、変人と思われたようなこともある。そんなことがありながらも体力をつけるように歩いたりした。透析中はできなかった一泊旅行や、レンタカーを借りて自分が運転して、妻が助手席に乗り北海道の千歳から知床まで回ったことがある。透析生活から解放され、充実した人生なったと感じた。
 ある時、高熱を発し医科大学病院に受診した時、結核にかかっているから緊急入院するようにと電話があり、入院することになったが、人に感染することはないということですぐ退院になったこともあった。今でも、免疫抑制剤を飲み、抗生物質を飲むというちぐはぐな生活を続けている。おなかが痛くなり、飲むことも食べることもできず、十二指腸閉塞という診断で入院したこともある。しかし、今でも、寒いとか、疲れを感じると熱がでることがある。
しかし、献腎移植を受けたことを後悔したことはない。もし、移植を受けなかったら、私の人生はもう終わっていたかも知れない。
 移植していただいたことに感謝の気持ちでいっぱいである。移植が実現できるように環境整備をしていただいた方や、肉親の体の一部を他の人に提供するという決断をしていただいた方には感謝の気持ちでいっぱいである。これからも健康で充実した人生を送っていきたい。



平成30年度移植医療セミナー

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黄色い羽根 石川(石川県腎友会)の「黄色い羽根募金」運動

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 「黄色い羽根 石川(事務局:石川県腎友会)」では、今年も、9月から11月末日まで、「黄色い羽根募金」運動を実施しています。
 毎年、多くの方から多大なご協力をいただき感謝しております。
 平成9年(1997年)10月に臓器移植法が施行され、日本でも脳死後の臓器提供が可能になり、臓器移植による治療にむけて新たな道が開かれました。それに合わせて石川県で始まった『黄色い羽根募金運動』は、「日本黄色い羽根友の会」の誕生を経て、「NPO法人日本黄色い羽根協会」の事業として全国的に広まりましたが、平成28年4月にはこの協会が解散し、その事業組織を「黄色い羽根 石川」として、石川県腎友会が引き継ぎました。もともと、黄色い羽根運動は石川県が発祥の地であり、今後も続けることとしています。
 皆様からいただいた募金は、臓器移植の普及広報活動、臓器移植希望者の日本臓器移植ネットワーク登録料・検査費用の助成などに使用されます。
 黄色い募金箱を見かけましたら、少しでもご協力いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

  問合せ先 黄色い羽根 石川(石川県腎友会内)
  所 在 地
 金沢市石引1丁目8-3
  電  話 076-221-2981

石川県腎友会 「命のキャラバン運動」2018

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 石川県腎友会では、平成11年度から、臓器提供について重要な役割を果たす救急医療や脳神経外科領域に携わる医療従事者に対して、移植を希望する患者の状況を説明し、移植医療の普及推進を図るため、毎年「命のキャラバン」運動を実施し、9月から10月にかけて県内の病院を訪問しています。
 平成30年度は、初日の9月6日(木)に、石川県庁で片岡穣健康福祉部長から「各病院長宛ての知事メッセージ」を受取り、このメッセージを県内の31病院・医院に伝えて臓器移植の協力をお願いしました。




                        石川県腎友会(昭和47年発足)
                        会 長 森田一郎
                        所在地 金沢市石引1丁目8-3
                        連絡先 076-221-2981


県民公開講座
移植教育講演会(平成30年3月17日(土))

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「ドナー家族の想い 妻が、今も誰かの人生を支えている」 
 
講師:五十嵐利幸 先生(ドナーファミリー)


 「交通事故を起こして、病院に運ばれた」と親父から連絡を受け、病院の救命救急センターに駆けつけた。女房は静かに寝ているような感じで、かえって手のほどこしようがないのかなと嫌な感じがした。「脳幹で大量出血していて、自発呼吸ができない。生命維持は早くて6時間、2日間ぐらいが限度」と言われた。運転中にくも膜下出血を起こして、ハンドルを左にきって電柱に衝突した自損事故で、ぐったりしているところを近くの人が通報して救急車で運ばれたと。
 女房の頭を撫でながら、いろんなことを思い出した。三十何年も一緒に過ごしてこのまま死なせるのは耐えられない。女房のために何ができるかと考えた。十数年前に、テレビを見ながら、「腎不全の子供が移植治療を受けた。心臓の移植を受けて元気になった人もいる。私に何かあったら、役に立つことをしてほしい。」という話しをしていたのを思い出した。移植をするなら、臓器がフレッシュなうちにした方がいい。しかし、手続きはどうするのか、どうすれば移植が実現できるのかわからない。看護師に脳死下の臓器提供をできるならしたい、と聞いた。看護師から看護師へ、さらに別の看護師へ移植の話が伝わり、全員が僕の方に顔を向けた。
 病院ではシミュレーションをしていたとしても、初めてのことで緊張感もあったと思う。
 そんなに早く臓器提供の意思表示をする家族はいないと思われたようだ。奥さんの事故で頭がおかしくなったのでないかという話しもあとで聞いた。このまま女房を亡くする、ただ死ぬのを待っているということは耐えられなかった。臓器をとってもらって、移植を受けた人が元気なら、ママも一緒に生きているといえるのではないか、少しでも臓器を役に立てて、と先生にも話しをした。コーディネーターが夕方に来るので、その話しを聞いてから、ということになった。
 コーディネーターから教えてもらったのは、
 1.迷いや障害があったら、いつでも(移植の話しは)やめられる
 2.レシピエントの情報は、定期的にお話しできる
 3.心停止では、提供できる臓器は腎臓と角膜ぐらいに限られる
ということだった。移植を受けた人と一緒に生きるのだから、その人がどうなったかという情報は、僕にとっては大事なことと思った。
 女房は子供たちにもいろいろ話をしていて、長男は保険証の臓器提供の家族欄に署名していた。子供たちの間では話しはすすんでいて、パパがそう思っているのなら同意するよということだった。しかし、両親と話しをするのが大変だった。心臓、肺が動いているのに、それを停めてどうする、信じられない、と聞く耳を持たない。女房の母も、あなたは血がつながっていないからそんなことを考えると。生みの親にとって娘を亡くする気持ちはたしかに辛いものと思う。高齢の親戚の人が、眼をとってしまうと三途の川が渡れないと言っている、ということも聞こえてきた。妻の従兄弟が警察官で事件などの処理を経験しているが、死んだら荼毘にして骨だけ抱えて帰るのではなく、役に立つことができれば、すればいいのではないか、と説得してくれた。
 翌日(事故から三日目)の夜、妻の母から、いろいろ言ったけど、移植の話しをすすめてもいいよ、という了解が得られた。こうして福井県人として臓器提供の第一号となった。
 女房は、県の体育指導主事になっていたこともあり、体育が苦手で身体をうまく動かせない子をどうやって体育の授業に参加させるか熱心に取り組み、押しくらまんじゅうから始めて、ふれあい体操を普及させようとしていた。教科書改訂に結びつくようなこともしていた。臓器移植で元気になる人がいるなら、手助けしたいな、と考えていたはずだ。
 病院からの説明が六時間おきに五回あり、説明のたびに家族が集められたが、説明するスタッフが変わることもありしんどった。窓口を統一してもらいたかった。
 臓器の摘出が終わって、十何人かの人がお化粧をしてくれて、きれいな顔で最後の時間を過ごした。多くの人が廊下の両側に並んで笑顔で見送ってくださった。
 お通夜のときに、レシピエントの情報を聞くことができ、移植後まもなく、おしっこがたまってきたと喜んでいると聞いた。すぐに腎臓が動くようになって、ママが患者さんと一緒に頑張っていると、家族ともども感じた。
 サンクスレターが来た。肺移植を決断し、八月に移植手術を受け、正月には子供たちと一緒に過ごせたと。サンクスレターは五十嵐家の宝になっている。救われたのは自分、子供たちのほうである。臓器提供をしてよかった。
 大金を使って南米に行った人もいる。だが、欧米からも来る人もあり、順番を待たねばならない。三か月も人が死ぬのを待って、しかも順番も変わる。周りの人が敵に思われて、自己嫌悪になる、という話しも聞いた。
 スペインでは、脳死下の臓器提供件数が人口当たりで世界一多く、臓器提供の大会などがある。アメリカでは脳死下の臓器提供が年間1,500件ほどあり、臓器提供者はヒーローになる。日本の環境はずいぶん違う。以前は、臓器提供は医者にとっては敗北で、オプション提示もできない状況だったが、ここ数年で随分変わってきたと思う。学校教育のなかでも取り上げられるようになった。自分の場合は、最終的に妻の想いどおりになったが、身近な人、大事な人と臓器提供について、したい、したくない、という話しを一回だけでもしておいてほしい。行動を前に一歩進めてもらいたい。

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平成29年度移植医療セミナー (移植医療推進研究会主催)

 移植医療推進研究会では移植医療セミナーを、下記のとおり開催しました。
 
 テーマ  「腎移植の現状と課題 ~それぞれができること~」
 
 講  師   金沢医科大学病院泌尿器科教授 田中達朗
        「腎移植の現状 ~外科的立場から~」
 
        金沢医科大学病院腎臓内科助教 大串勇気
        「献腎移植登録者の自己管理 ~内科的管理と合併症~」
 
 日時・場所  平成29年12月 2日(土) 17時30分~19時
        恵寿総合病院

        平成30年 1月13日(土) 17時30分~19時
        小松市民病院

 

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田中達郎先生  金沢医科大学病院泌尿器科教授   (写真は 1月13日(土) 小松市民病院)

          腎移植の現状
             ~外科的立場から~




献腎移植の現状

脳死下  :一定時間があり、行動計画を立てることができる。
心停止下:臓器提供までの時間が、非常に短い場合も長い場合もある。

すべての人が提供できる。
脳死下では、肺、心臓、肝臓、膵臓、腎臓、小腸、眼球が提供できる。
心停止では、提供できるのは、膵臓、腎臓、眼球に限られる。
阻血時間  心臓が動いているときは阻血はおきない。血液の動きがなくなれば、
      酸素はゆきとどかなくなり、急激に壊死になる。冷却した方がよい。
温阻血時間 脳死下では阻血はないが、提供のための処置はむずかしい。
      心停止下では12~30分。腎臓は、30分が限度。
冷阻血時間 冷えた状態では酸素の消費が少なく、臓器の損傷は少ない。
      冷却時間は48時間で十分。ただし、腎臓は24時間。
生着率   温阻血時間に対応。脳死下の方が高い。



献腎移植(脳死 VS 心臓死)

            脳死下提供       心臓死下提供


臓器提供までの時間   一定の時間があり    極端に短い場合も
            計画できる       長い場合もある
    

提供できる臓器、組織  肺、心臓、肝臓、膵臓、 腎臓、膵臓、眼球
            腎臓、小腸、眼球

温阻血時間       無           数分から30分

冷阻血時間       各臓器で異なる     各臓器で異なる

生着率                  >


 全国の臓器提供数の推移を見ると、脳死は増えているが心臓死が急激に減少。結果的に献腎移植は減少している。
 脳死下から膵腎同時移植に2割が提供されるので、県内の心臓死からの臓器提供が必要。
過去2年間、県内では臓器の提供も受ける件数もゼロ。現在は、提供と同一県の移植が優先される。県内からの提供がなければ、移植につながらない。
 数少ない提供腎をいかに有効に活用できるか、心臓死からの提供腎の腎機能をいかに保てるか。


献腎移植登録者の自己管理
 透析=抗血栓療法の有無が問題になる。
 パナルジン、フラビックス内服中は適応外。
 動脈硬化の症状が強いと、石灰化のため移植には適さない(吻合ができない)。
 多発性嚢胞腎=移植は困難になるが、手術例はある。
        大きくなったのを除去し、その後移植
 
⇒ 平成28年度以降、1年に1回以上受診と評価が必要となった。
  ・外科的にむずかしいところがあるか
  ・内科的な判断(適応性の判断)

 
献腎移植の適応外患者

 ・担癌・悪性腫瘍術後5年以内
 ・肝硬変
 ・1年以内の血管合併症:心筋梗塞・脳出血(梗塞)・ASO(肢趾切断)
 ・難治性下肢壊疽を有する糖尿病性腎症
 ・EF30%の心機能低下
 ・HIV感染者
 ・Oxalosis
 ・65歳以上糖尿病性腎症で2種類以上の血管合併症既往
 ・活動性の感染症、治療中の感染症(齲歯、副鼻腔炎を含む)
 ・抗血栓療法のうちチエノピリシン誘導体(パナルジン、フラビックス)内服中の患者

腎臓は心臓が停止してからでも提供いただけます。
貴重なご意思を生かすため、よりよい状態で腎臓をいただきます。
  温阻血時間を短くするために死体内潅流にポンプを使用します。
  死体内潅流には準備が必要です。
  まずご一報を!

 


 

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大串勇気先生 金沢医科大学病院腎臓内科助教     (写真は12月 2日(土) 恵寿総合病院)          

        献腎移植登録者の自己管理
           ~内科的管理と合併症~




生体移植・献腎移植の特徴

        生体腎移植         献腎移植

ドナー     6親等以内の血族      心停止もしくは脳死下
        3親等以内の姻族 

手 術     計画的な手術が可能     緊急手術          

透 析     早期に透析離脱可能     移植後1~2週間程度の 
                      透析が必要になる場合 
                      がある

成 績     献腎移植に比べて生着率   生体腎移植に比べ劣る
        がよい

問題点     健康なドナーへの負担    長期の待機期間が必要



レシピエント選択基準(腎臓)

前提条件

血液型   ABO式血液型がドナーと一致及び適合

抗体反応  リンパ球交差試験 陰性

優先順位

①親族: 親族優先提供の意思表示がある場合
②血液型:適合より一致を優先
③下記1~4ポイント合計点数が高い順とする
 
 1 搬送時間  腎臓に血流がない時間(総阻血時間)を短くするため
         に提供者発生施設と同一都道府県の移植施設を希望
         している方のポイントが高い。                   

 2 HLAの適合度 提供者のHLA型と適合していない数(不適合:ミス
         マッチ数)が少ない方のポイントが高い。

 3 待機日数  長く待機している移植希望者のポイントが高くなる。 
         (透析日数ではなくネットワークに登録している日数)


 4 未成年者  16歳未満:14点、16歳以上20歳未満:12点 


移植直前に献腎移植不可だった実例

・齲歯、副鼻腔炎等の慢性感染症
・抗血小板剤(パナルジン、プラビックス等)内服
・5年以内に悪性腫瘍を指摘されていた
・仕事や介護により多忙
・実際に移植への踏ん切りがつかない

献腎移植登録更新時検査

・腫瘍マーカー 初回受診時と50歳以上(1回/2年)
・感染症    毎年もしくは輸血後
・胃内視鏡   初回受診時と40歳以上(毎年)内
・大腸内視鏡  50歳以上(1回/2年)
・便潜血検査  毎年
・胸部~骨盤腔CT  毎年
・頭頸部CT(副鼻腔含む)  初回受診時と5年毎
・歯科     毎年:受診直前1~2か月以内
・心電図・胸部XP  毎年
・婦人科・乳癌検診  2年毎、40歳以上(毎年)

献腎移植待機期間は2015年の時点で平均13.8年であり、腎移植に興味や希望のある方は早期の登録をおススメします。

現在では透析前に献腎移植登録を行うことも可能であり、医療関係者の方からの情報提示も必要と考えます。

御自身が腎移植可能かどうかは移植登録施設に受診していただき、判断を仰いでください。

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県民公開講座
移植教育講演会
(平成29年3月4日(土))

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演  題 「ふたたび命を得て」    

講  師 児嶋由紀 先生(ピアニスト)


講演内容

 腎臓機能が弱くなると、ずっと風邪をひいているような疲れやすい症状がずっと続く。血液透析は、1回5時間、週3回必要で、水分制限や食事制限があり、ほとんど自由な時間がない。主治医から移植という選択肢があると聞いたが、移植を待つよりは、透析を続けることを選ぶ人、移植をあきらめる人もいる。
 透析生活が3年続いた後、平成10年のさわやかな秋の晴れた日、移植コーディネーターから「適合するドナーが現れました。どうされますか?」という連絡があった。一刻を争うような時だったが、コーディネーターの言葉使いには安心感が持てた。主治医も「僕が君の立場だったら移植を受けるよ」と後押ししてくれた。
 移植後はひどい高血圧も正常になり、免疫抑制剤のおかげで症状はでていない。ドナーがいないと移植手術は不可能である。ドナーから命をつないでいただいたと思いながら、病院や学校で「命のコンサート」などの仕事を続けている。

 講演の後、「アメージンググレイス」などのピアノ演奏がありました。


   移植者から看護師さんへのメッセージ

透析だけは避けたいという思いで長年腎不全と闘ってきたので、尿毒症末期で死を意識するまで現実を受け入れることができませんでした。
透析導入後は命救われたことを実感し、一生の覚悟を持って臨みました。日々仕事と介護に追われる私には、透析中は心身共に休まる貴重な時間でしたが、さまざまな葛藤があり、時に看護師の方々の笑顔や明るさが眩しく、涙することもありました。

そのような中、主治医から移植という選択肢があることを知らされ、迷わずレシピエント登録をしました。いつかは叶うかもしれないという希望が、日々の透析生活に変化をもたらしてくれました。

患者に寄り添う看護師さんにお願いがあります。透析患者さんにはその先の選択肢があり普通の生活が取り戻せる手段があることを、是非とも伝えて下さい。

移植後数年間は孤独で不安でした。透析の日々を思い返すたびに、いかに管理していただき守られていたかを実感し、感謝の想いが溢れます。透析で寄り添い支えていただいたこと、移植に導き送り出していただいたこと、忘れません。
本当にありがとうございました。