公益財団法人石川県臓器移植推進財団

臓器提供のこと知っていますか

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県民公開講座
移植教育講演会(3月17日(土))      

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「ドナー家族の想い 妻が、今も誰かの人生を支えている」 
 
講師:五十嵐利幸 先生(ドナーファミリー)

 
 「交通事故を起こして、病院に運ばれた」と親父から連絡を受け、病院の救命救急センターに駆けつけた。女房は静かに寝ているような感じで、かえって手のほどこしようがないのかなと嫌な感じがした。「脳幹で大量出血していて、自発呼吸ができない。生命維持は早くて6時間、2日間ぐらいが限度」と言われた。運転中にくも膜下出血を起こして、ハンドルを左にきって電柱に衝突した自損事故で、ぐったりしているところを近くの人が通報して救急車で運ばれたと。
 女房の頭を撫でながら、いろんなことを思い出した。三十何年も一緒に過ごしてこのまま死なせるのは耐えられない。女房のために何ができるかと考えた。十数年前に、テレビを見ながら、「腎不全の子供が移植治療を受けた。心臓の移植を受けて元気になった人もいる。私に何かあったら、役に立つことをしてほしい。」という話しをしていたのを思い出した。移植をするなら、臓器がフレッシュなうちにした方がいい。しかし、手続きはどうするのか、どうすれば移植が実現できるのかわからない。看護師に脳死下の臓器提供をできるならしたい、と聞いた。看護師から看護師へ、さらに別の看護師へ移植の話が伝わり、全員が僕の方に顔を向けた。
 病院ではシミュレーションをしていたとしても、初めてのことで緊張感もあったと思う。
 そんなに早く臓器提供の意思表示をする家族はいないと思われたようだ。奥さんの事故で頭がおかしくなったのでないかという話しもあとで聞いた。このまま女房を亡くする、ただ死ぬのを待っているということは耐えられなかった。臓器をとってもらって、移植を受けた人が元気なら、ママも一緒に生きているといえるのではないか、少しでも臓器を役に立てて、と先生にも話しをした。コーディネーターが夕方に来るので、その話しを聞いてから、ということになった。
 コーディネーターから教えてもらったのは、
 1.迷いや障害があったら、いつでも(移植の話しは)やめられる
 2.レシピエントの情報は、定期的にお話しできる
 3.心停止では、提供できる臓器は腎臓と角膜ぐらいに限られる
ということだった。移植を受けた人と一緒に生きるのだから、その人がどうなったかという情報は、僕にとっては大事なことと思った。
 女房は子供たちにもいろいろ話をしていて、長男は保険証の臓器提供の家族欄に署名していた。子供たちの間では話しはすすんでいて、パパがそう思っているのなら同意するよということだった。しかし、両親と話しをするのが大変だった。心臓、肺が動いているのに、それを停めてどうする、信じられない、と聞く耳を持たない。女房の母も、あなたは血がつながっていないからそんなことを考えると。生みの親にとって娘を亡くする気持ちはたしかに辛いものと思う。高齢の親戚の人が、眼をとってしまうと三途の川が渡れないと言っている、ということも聞こえてきた。妻の従兄弟が警察官で事件などの処理を経験しているが、死んだら荼毘にして骨だけ抱えて帰るのではなく、役に立つことができれば、すればいいのではないか、と説得してくれた。
 翌日(事故から三日目)の夜、妻の母から、いろいろ言ったけど、移植の話しをすすめてもいいよ、という了解が得られた。こうして福井県人として臓器提供の第一号となった。
 女房は、県の体育指導主事になっていたこともあり、体育が苦手で身体をうまく動かせない子をどうやって体育の授業に参加させるか熱心に取り組み、押しくらまんじゅうから始めて、ふれあい体操を普及させようとしていた。教科書改訂に結びつくようなこともしていた。臓器移植で元気になる人がいるなら、手助けしたいな、と考えていたはずだ。
 病院からの説明が六時間おきに五回あり、説明のたびに家族が集められたが、説明するスタッフが変わることもありしんどった。窓口を統一してもらいたかった。
 臓器の摘出が終わって、十何人かの人がお化粧をしてくれて、きれいな顔で最後の時間を過ごした。多くの人が廊下の両側に並んで笑顔で見送ってくださった。
 お通夜のときに、レシピエントの情報を聞くことができ、移植後まもなく、おしっこがたまってきたと喜んでいると聞いた。すぐに腎臓が動くようになって、ママが患者さんと一緒に頑張っていると、家族ともども感じた。
 サンクスレターが来た。肺移植を決断し、八月に移植手術を受け、正月には子供たちと一緒に過ごせたと。サンクスレターは五十嵐家の宝になっている。救われたのは自分、子供たちのほうである。臓器提供をしてよかった。
大金を使って南米に行った人もいる。だが、欧米からも来る人もあり、順番を待たねばならない。三か月も人が死ぬのを待って、しかも順番も変わる。周りの人が敵に思われて、自己嫌悪になる、という話しも聞いた。
 スペインでは、脳死下の臓器提供件数が人口当たりで世界一多く、臓器提供の大会などがある。アメリカでは脳死下の臓器提供が年間1,500件ほどあり、臓器提供者はヒーローになる。日本の環境はずいぶん違う。以前は、臓器提供は医者にとっては敗北で、オプション提示もできない状況だったが、ここ数年で随分変わってきたと思う。学校教育のなかでも取り上げられるようになった。自分の場合は、最終的に妻の想いどおりになったが、身近な人、大事な人と臓器提供について、したい、したくない、という話しを一回だけでもしておいてほしい。行動を前に一歩進めてもらいたい。

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県民公開講座 移植教育講演会(平成29年3月4日(土))

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演  題 「ふたたび命を得て」    

講  師 児嶋由紀 先生(ピアニスト)


講演内容

 腎臓機能が弱くなると、ずっと風邪をひいているような疲れやすい症状がずっと続く。血液透析は、1回5時間、週3回必要で、水分制限や食事制限があり、ほとんど自由な時間がない。主治医から移植という選択肢があると聞いたが、移植を待つよりは、透析を続けることを選ぶ人、移植をあきらめる人もいる。
 透析生活が3年続いた後、平成10年のさわやかな秋の晴れた日、移植コーディネーターから「適合するドナーが現れました。どうされますか?」という連絡があった。一刻を争うような時だったが、コーディネーターの言葉使いには安心感が持てた。主治医も「僕が君の立場だったら移植を受けるよ」と後押ししてくれた。
 移植後はひどい高血圧も正常になり、免疫抑制剤のおかげで症状はでていない。ドナーがいないと移植手術は不可能である。ドナーから命をつないでいただいたと思いながら、病院や学校で「命のコンサート」などの仕事を続けている。

 講演の後、「アメージンググレイス」などのピアノ演奏がありました。


   移植者から看護師さんへのメッセージ

透析だけは避けたいという思いで長年腎不全と闘ってきたので、尿毒症末期で死を意識するまで現実を受け入れることができませんでした。
透析導入後は命救われたことを実感し、一生の覚悟を持って臨みました。日々仕事と介護に追われる私には、透析中は心身共に休まる貴重な時間でしたが、さまざまな葛藤があり、時に看護師の方々の笑顔や明るさが眩しく、涙することもありました。

そのような中、主治医から移植という選択肢があることを知らされ、迷わずレシピエント登録をしました。いつかは叶うかもしれないという希望が、日々の透析生活に変化をもたらしてくれました。

患者に寄り添う看護師さんにお願いがあります。透析患者さんにはその先の選択肢があり普通の生活が取り戻せる手段があることを、是非とも伝えて下さい。

移植後数年間は孤独で不安でした。透析の日々を思い返すたびに、いかに管理していただき守られていたかを実感し、感謝の想いが溢れます。透析で寄り添い支えていただいたこと、移植に導き送り出していただいたこと、忘れません。
本当にありがとうございました。